これから人生どうすれば良くなるのか、全部知っているのに、どうすれば未来が少しはマシになるか、何でも分かるのに、躊躇ってしまったり、何も出来なかったりするのは、この苦しみが阿弥陀のものだからだろうか。或いはヤハウェのものだからだろうか。或いはヴィシュヌの。そうだ、自分を個だと思うのは思い上がりではないか。確実に自分は個だと言い切れるのか。何かの一部ではないか。あれ、僕は若しや阿呆なのか、ああ、そう言えば阿呆だった、と言う逃避の繰り返しである。そんなこんなで今年も年末だし。そしてヤハウェのクリスマス。阿弥陀、ヴィシュヌ、さようなら。「クリスマスツリーなんて婆ちゃん家のコンバインで滅茶苦茶にしてやるぜ、うへへへ」等と知人と話し、チョコパンを食いながら、迎えました。聖夜は地元の男友達とダイエーで売れ残ったチキンを買い、住塚間食熱灰土が如く貪る予定です。しっとマスクになりたいです。
2011/10/25(火) 10:11 過去の日記 記事URL COM(0)

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